ニューヨークエッセイ
先日、建築の研究と博士号取得のために日本に留学しているイタリア人の友人が、「日本にいると自由でいられる」と言いました。彼は母国にいると国の歴史や様式に縛られて自由に創作活動ができないと訴え、逆に日本にいると外国人であるがゆえに日本人と違う行動様式を持ち合わせていることに自他共に寛容でいられ、研究に没頭できるのだそうです。民族が培ってきた物事を潤滑に成すための秘訣や集団行動における決まりごとは「雑音」であり、そこから解放されることにより目の前にある案件が何を求めているかの核心に触れやすい、と言います。異文化に身を置くことで自身を開放している、という彼の発言に共感しました。